01.古きよきリオの風景
ここで、私が生まれ育った街であるリオ・デ・ジャネイロ(以下:リオ)について少し話すことにします。
私はリオの Rocha Miranda地区 で生まれ育ちました。生家はいまもそこに残っています。
私の幼少期、いっしょに暮らしていた私の祖父母はパーティーが大変好きな人たちでした。
祖父はバイーア州・サルヴァドール市生まれ。青年期にリオに移住して祖母に出会いました。
祖母はリオ出身。生粋のカリオカ。カリオカそのものと言ってもいいような女性でした。
パルチード・アウトが大好きで、パゴーヂも大好き。
楽しい事が大好きな祖母は、無類のパーティー好きでもありました。
そして祖父がそれに輪をかけたパーティー好きということもあって、週末になると我が家は、親戚や近所の人たちが集まり、たくさんの人で賑わっていました。
パーティーは土曜日のお昼ごろに始まり、日曜日の夜まで「飲んで! 食べて! 歌って! 踊って!」が続くんです。
テーブルの上にはバチーダ、ショッピ、カイピリーニャ、ビールの樽、樽、樽。もちろん、そこにサンバは欠かせないものでした。
そしてサンバだけでなく、もっと古いブラジル音楽も、集まった仲間たちの手によって演奏されていました。
やがて我が家は多くのサンビスタたちが集まる場所になっていき、その仲間たちでひとつのブロッコを設立するまでに至ったのです。
そんな環境の中で、私がRocha Mirandaの人々に教わったサンバとは『愛があり・情があり・尊敬の念がある』音楽であり、それはまさに生活そのものだったのです。
もちろん、私が将来サンビスタになることは、実に自然なことでした。